研究室の紹介

1.研究室の構成
2.研究テーマ紹介
  川口研50年の軌跡
3.最近の研究発表
4.研究室の教育・研究方針と学生の進路、社会とのつながり
5.川口の著述から



1 研究室の構成
   平成26年度から、実体としての川口研はなくなりました。
  
2 研究紹介  
 

(2014年更新) 高分子微粒子と50

    (神奈川大学工学研究所所報 65, 118-121 (2014)より)

             本稿は、2014年神奈川大学特任教授を退くにあたり、約50年にわたる川口の研究の軌跡をまとめたものである。

1.起
 もう50年近く高分子化学の研究に関わってきたことになる。その緒は卒業研究であった。『乳化重合系(図1)の温度変化』というのが卒論の研究テーマで、乳化重合系の温度の観測によって重合の進み具合をリアルタイムで把握することを目的とする研究だった。(1) 研究を始めてほどなく乳化重合オタクになった。塊状重合や溶液重合など他の一般的な重合にはない多くの面白さを、乳化重合が持ち合わせているからである。例えば、一般の重合では重合度と重合速度が反比例する関係にあるのに対して、乳化重合系では高重合度のポリマーを高速で得ることができる。乳化重合は水系での重合なので反応熱の処理やVOCに起因する諸問題に悩まされないですむ
 また、乳化重合からは高分子が微粒子分散液として得られるので反応後の生成物の取り扱いや後処理が容易である、等々。そんな乳化重合において何よりも興味深かったのは、重合開始剤ラジカルが生じる場(すなわち重合が始まる場)と、モノマーが存在する場(すなわち重合が進む場)とが異なるというミステリアスな舞台の設定であった。これを解き明かしたHarkinsの論文(1947)Smith & Ewartの論文(1948)を読んで、不均一系重合に傾倒した。

2.承
(故)大塚保治教授指導のもと、博士論文の課題は、『乳化剤が開始剤の一成分として働く乳化重合』であった。具体的には、ノニオン性乳化剤のエチレンオキシド鎖とセリウムイオンとが形成するレドックス系を使った低温重合の機構と速度論について研究した。ここでの乳化剤は、乳化剤と開始剤の2役を演じており、後にこの分野で活躍する、いわゆるinisurf (initiatorsurfactant) の走りと言えるものかもしれない。(2)
その後、ソープフリー乳化重合、疎水性モノマー/親水性モノマーのソープフリー乳化共重合に手を染めた。後者において親水性モノマーユニットは生成する高分子微粒子表面層に局在して粒子の安定化に寄与するばかりでなく、粒子の機能発現にも貢献できることを学んだ。典型的な疎水性モノマーであるスチレンと親水性モノマーであるアクリルアミドを組み合わせてソープフリー乳化重合を行い、疎水性コア/親水性シェルから成るコアシェル粒子を得て、シェルが示す表面特性、化学的性質や界面電気化学的特徴について研究した。(3) この間に、U. Mass. Amherst、すなわちマサチュセッツ州立大学(アマースト校)に13カ月在籍し、それまでと全く異なる環境で研究生活を送った。そこでの指導教授は高分子研究センター Professor O. Vogl。テーマは乳化重合から離れてHead-to-Head polymer (H-H ポリマー)の合成とキャラクタリゼーションであった。H-Hポリマーは(-CH2-CHX-CHX-CH2-)の繰り返し単位を持つポリマーで、その合成に正面から取り組んだら一朝一夕では片付かない。私が伝授された方法は、ブタジエン(-CH2-CH=CH-CH2-)にハロゲンガス(Cl2Br2) を吹き込んでH-Hポリ塩化ビニルやH-Hポリ臭化ビニルを得るというトリッキーなもので、H-H構造が98%超というものができた。(4)  そういう研究の合間に、帰国したら何をしようか考えていた。高分子微粒子の合成にとどまることに飽き足らない思いは募っていて、作った微粒子の機能を生かす研究に重心を移す意志を持って帰国した。

3.転
 機能性微粒子としてまず着目したのは、前述の親水性シェル相を持つ粒子。親水性表面は生体適合性がよいことから、それら粒子のバイオ分野への応用を手掛けた。微粒子の細胞との相互作用、タンパク質との相互作用、相互作用への微粒子表面化学構造の影響、などの研究を展開した。バイオ分野の研究拡張のため、京都大学筏義人先生にご紹介いただいて、研究室に藤本啓二博士を迎えた。
 これ以降の研究室の路線は、大きく2つに分類される。一つはミクロゲル、他の一つは複合粒子である。まず、ミクロゲルから述べる。われわれが取り上げたのは、ミクロゲルのうちのミクロハイドロゲル、すなわち、水を抱え込むソフトマタ―。その作製は沈殿重合によった。モノマー可溶/ポリマー不溶の溶媒中で重合を行うと、重合の進行に伴ってポリマーが沈殿する。粗大な沈殿物が生成することが多いが、モノマー/溶剤/開始剤の組み合わせによっては単分散高分子微粒子を生成することが可能である。これが、微粒子生成のための沈殿重合であり、PeltonN-イソプロピルアクリルアミド (N-isopropyl- acrylamideNIPAM) の水系沈殿重合で単分散ポリNIPAM (PNIPAM) の合成を実現したが、われわれは、アルコール中でのacrylamidemethacrylic acidの沈殿共重合でサイズ分布の狭いポリマー粒子を得た。得られたミクロゲルを改質すると両性ミクロゲルが得られた。この粒子の諸特性のpH依存性は、ある糖タンパク粒子と類似していた。(5) そのことに関心を持たれ、シアトルに設立されたDDS関連ベンチャー会社のボードメンバーに招聘された。このボードには、ワシントン大学のProfessor A. HoffmanMIT Professor T. TanakaMayo Clinic Professor J. Fernandezらが同席し、エキサイティングな時間を味わえた。しかし僅か3年で、大手企業によるベンチャー会社の買収により、その楽しい物語は終わった。 ミクロゲルはソフトマターであり、そのソフトネスの起源は可変的な含水性にあり、様々な分野の研究者の関心を呼んだ。とりわけ注目されたミクロゲルは温度応答性ポリマーミクロゲルで、中でも先に述べたPNIPAMミクロゲルを取り上げた研究は1990年代は年を追うごとに加速的に増大した。我々は、ポリNIPAM をシェル層、あるいはヘア層とする粒子を取り上げ、温度応答性が生み出す機能を追求した。PNIPAMミクロゲルは32℃付近に体積転移温度を持ち、それ以下の温度では高度に膨潤し、それ以上では収縮した。変化は体積にとどまらず、見かけのζポテンシャル、ゲル粒子の親疎水性も相転移温度付近で大きく変動した。(6) この特徴を利用して、ゲル粒子を使うと、温度によってタンパク質の吸脱着を制御できた。(7) また、ポリNIPAM粒子を敷き詰めたシートの上に播種された細胞はほとんど刺激を受けないこと、その系の温度を25℃から37℃に変えると細胞はひどく刺激されることなどの知見を得ることができた。(8) (図3、なお、ポリスチレン粒子を敷き詰めたシート上では、疎水性表面が苦手な細胞は激しく活性化された。)
 また、ミクロハイドロゲルには自己集積性があることが確認された。ミクロゲル分散液の一滴を基板上に落として乾燥すると、自己集積により粒子が一定の隙間をあけて(9) 2次元規則配列構造を形成し(4)、構造色が観測された。(10) 複合粒子の中では、まず、合成高分子と生体分子との複合により形成されるアフィニティラテックスに注目した。アフィニティラテックスは、生体系で特異的にアフィニティを示すカップルの一方を粒子に固定し、その粒子分散液を使って、生体分子の混合物の中から、相補的な成分だけを選択的に釣り上げる機能を持つものを指す。抗体を固定し、抗原の検出に使う、いわゆるラテックス診断薬がその草分けと言っていい。アフィニティラテックスに使われる微粒子に必要不可欠な特性は、非特異吸着をおこさない事である。東工大半田宏教授との共同研究で、そのための最適な粒子として、スチレン-グリシジルメタクリレート共重合体粒子を設計した。その粒子に、特定の塩基配列のDNAやタンパク質、薬剤を固定し、相補的な成分を分離したり回収したりする用途に供した。(11,12) アフィニティラテックスについて得られた特許に基づき出来上がったベンチャー会社は、形こそ変わった図5の中で、iniferter( )はリビング重合の開始のための分子で、ここを開始点としてアクリルアミドのリビンググラフト重合をおこなって、厚さがターゲット分子(ここではヘモグロビン分子)のサイズにほぼ等しいシェル層を作った。非特異吸着を抑えきれなかったが、インプリントした場は明確にターゲット分子選択性を示した。 産学の密な連携の楽しさと難しさを味わった貴重な3年間を終えた後、神奈川大学化学教室に迎えていただいた。小じんまりではありながら研究室を持つことも認められ、研究を続けることができた。亀山敦教授の研究室学生諸君の協力もいただきながら手がけたテーマは、『分子アセンブリングによる新奇ミクロゲルの合成』『無機ナノ粒子含有ミクロゲルの合成と機能』『刺激応答性ミクロゲルを用いたピッカリングエマルションの生成とその特性』『新たな成分を共存させた乳化重合の反応と生成物に関する特徴』などである。図6は『無機ナノ粒子含有ミクロゲルの合成と機能』中で得られた、銀ナノ粒子含有カルボキシメチルセルロースミクロゲルの超薄切片写真である。(15) 円形の中に点在する数多くの点が銀ナノ粒子である。このミクロゲルの構造を解析し、還元反応触媒としての機能評価を進めている。
5.筆を置く前に 高分子微粒子の本格的研究の黎明期は、1940年代といえる。終戦の後、乳化重合法の深化と拡張、機器分析の発達、ナノレベル・メゾレベルの科学の進化、境界領域研究の発展などの後押しがあって、20世紀後半は微粒子研究花盛りの時代であった。表1にそれを示す。その時代に当該分野の研究者でいられたことを幸せに思う。概述した約50年の研究の途上で出会いご支援いただいた研究者の皆様、いつも小職の研究室を支え盛り上げて下さった院生・学部生諸君、に衷心よりお礼を申し上げます。

レファレンス
(1)藤井・大塚・川口 高分子化学 26, 163 (1969) (2) 大塚・川口・金谷 高分子論文集 31, 87 (1974)   (3).Y. Ohtsuka, H. Kawaguchi, Y. Sugi, J. Appl. Polym. Sci. 26, 1637 (1981)  (4) H. Kawaguchi, Y. Sumida, J. Muggee, O. Vogl, Polymer, 23, 1805 (1982)(5) M. Kashiwabara, K. Fujimoto, H. Kawaguchi, Colloid Polym. Sci., 273, 339 (1995) (6) K. Fujimoto, Y. Nakajima, H. Kawaguchi, Polym Intl., 30, 237 (1993)  (7) H. Kawaguchi, K. Fujimoto, Y. Mizuhara, Colloid Polym. Sci., 270, 53 (1992)  (8) M. Miyaki, K. Fujimoto, H. Kawaguchi, Colloids Surfaces A, 153, 603 (1999) (9) S. Tsuji, H. Kawaguchi, Macromolecules, 39(13) 433 2006)   (10) S. Tsuji, H. Kawaguchi, Langmuir, 21, 2434 (2005) (11) H. Kawaguchi, A. Asai, Y. Ohtsuka, H. Watanabe, T. Wada, H.. Handa, Nucleic Acids Res., 17, 6229-6240(1989) (12) N. Shimizu, M. Hatakeyama, H. Kawaguchi, H. Watanabe, H. Handa, et al. Nature Biotech., 18, 877 (2000)
(13) D. Suzuki, H. Kawaguchi, Langmuir, 22, 3818 (2006) (14) H. Ugajin, T. Oka, N. Ueno, T. Abe, H. Kawaguchi, Colloid Polym. Sci., 291,109 (2013) (15) Y. Sano, not published yet.



機能材料を創ること、操ること  2012年更新

   2009年神奈川大学に移ってからの研究テーマについて述べる。引き続き「機能材料を創るこ
   と、操ること」に力を注ぎながらも、高分子コロイド・界面化学について気になっていることに
   目を向け、特に次のテーマに絞り込むこととする。
  2.1 分子集積によるミクロゲルの形成と、その応用。
   溶液中の高分子鎖を、環境を制御することで、あるいは凝集剤を使って、集積させ(必要に応
   じて架橋して)ミクロゲルを得る。高分子鎖の構造、集積のトリガー、集積条件などと、得られ
   るミクロゲルの特性の関連についての検討を行う。さらにこのミクロゲルを無機ナノ材料の担
   体として用い、無機材料とミクロゲルの機能の競演を図る。
  2.2 応答性ミクロゲルを用いたピッカリングエマルションの相の制御。
   温度応答性ミクロゲルでは温度によりその表面の親疎水性すら変化させることができる。
   このミクロゲルを用いてピッカリングエマルションを作るとき、ピッカリングエマルションの状態を
   温度で制御できる。Poly(N-isopropylacrylamide)、およびその共重合体のミクロゲルの温度応
   答性を利用して、ピッカリングエマルションの相の状態を制御することを目指す。
  2.3 シクロデキストリン存在下の不均一系重合。
   スチレンのソープフリー乳化重合系にシクロデキストリンを共存させると、重合挙動やキネティッ
   クス、生成するラテックスの性状が変化することを見出した。α-, β-. 修飾β-, γ-シクロデキ
   ストリンがもたらす異なる作用にも注目しながら、シクロデキストリンの役割と利用法を研究する。

3 最近の研究発表
   高分子科学/界面科学/生医学の重なる領域での研究が多いことから、研究発表の場や
   論文誌はかなりの幅を持っている。最近の論文は別ページを参照されたい。

4 研究室の教育・研究の方針と学生の進路、社会とのつながり
   現代の『化学』は、理学と工学の間の垣根がさほど高くない学問になってきているように思う。
   化学全域をカバーするグローバルな学術組織であるInternational Union of Pure and
   Applied Chemistry の目標設定や活動の仕方にもそういうことがうかがえる。『高分子化学』は
   分子レベルから、材料レベルまでを対象とする学問であり、まさに上記の枠組みにぴったり
   はまるものといってよい。分子としてみても、分子集合体としてみても、また材料としてみても
   おもしろい学問を研究室で堪能してほしいと思う。高分子の領域の中では、主に、高分子界
   面化学を対象にしている。水とのインターフェイス、生体物質とのインターフェイス、熱や光
   との相互作用など、高分子と何かとの間で展開されるドラマを凝視し、さらにそれらを操れる
   研究者、技術者になってほしい。学生には大学院進学を勧め、一人前の高分子のプロになっ
   て社会にとびだしていってほしい。短期間で一人前になれるわけはないとあきらめてはいけ
   ない。2つのものをもっていればそれができる。それは、好奇心と集中心。好奇心 Curiosity
   の C、集中心 ConcentrationのC、2つのCをとって、学生に贈る言葉は、"Be C C Girls
   & Boys!"。もう一点、学生には国際人たれと指導する。


   社会とのつながりのひとつに委託研究や共同研究がある。それらの研究の進め方は、研究
   者を研究室に受け入れてのものから、定期的にディスカッションをするもの、報告書提出だけ
   のものまで、多様である。

5 川口の著述から

 (2011年晩春)
 「大塚保治先生追悼

    わが師、大塚保治先生が平成23年2月28日に逝去されました。享年86。痛みもなく安ら
   かに眠るように旅立たれたとうかがったとき、せつなさが胸に広がりました。
   私が先生と最後にお会いしたのは、2009年3月8日でした。その日は私が慶應を定年退
   職する記念のパーティーがありました。小池康博君や川口研OB・OGの有志が私の65歳の
   誕生日に合わせてその集いを企画してくれたのでした。先生にはそのパーティーにご出席
   いただいて、暖かいお言葉を頂戴しました。奇しくもそれからちょうど2年後の3月8日、
   護国寺で先生の告別式が行われ、私は弔辞を読ませていただきました。
   先生との思い出話を書いておきたいと思います。
    大塚保治先生は横浜生まれ。旧制中等学校を飛び級で卒業し、創立して間もない藤原
   工業大学に入学されました。藤原工業大学は製紙王藤原銀次郎氏が私財を投じて設立
   した大学で、当初の申し合わせ通り最初の卒業生がでる年までに慶應義塾に移譲され
   ました。大塚先生は慶應義塾大学工学部3期生として卒業(昭和21年9月)、その後、
   大学院特別研究生を経て教員となられ、平成2年に定年退職されるまで慶應義塾に奉
   職されました。先生は学生時代、有機合成化学の研究室で学ばれましたが、ほどなく
   高分子化学の分野に転出し、『合成高分子ラテックスの応用に関する基礎的研究』と題
   する論文で工学博士の学位を取得されました。その後、昭和38年から39年にコロンビア
   大学に留学された時期を除き、50代に至るまでのほぼ25年間は、高分子コロイド・高分
   子ラテックスの研究に没頭しておられました。
    先生には言葉に尽くせないご恩を頂きました。大学で、高分子化学の研究室に入り当
   時助教授でいらっしゃいました大塚先生のグループで卒論修論をまとめさせていただき
   ました。先生から、工夫することの大切さを学びました。私が修士課程を終え企業に就
   職して一年目の春三月、翌年から教授になられることが決まった先生は、私の就職先の
   本社がある大阪に足を運んでくださいまして、「川口を助手にほしい」と会社にかけあって
   くださいました。そこまでしていただき、私は『この先生のご恩に報いよう』と心に決めました。
   その4年後の3月には先生にお仲人をお願いしました。3月は先生との思い出がいっぱい
   の月です。
    先生は卓越した大学人でした。驚異的な研究者であり、優れた教育者であり、頼りに
   なるリーダーでした。1981年に慶應義塾大学工学部が理工学部に衣替えしました。その
   後三年間は工学部と理工学部が共存しましたが、先生はその時期、工学部長、理工学
   部長を3期6年間務められ、理工学部を軌道に乗せ、加えて、大学院に三つの新専攻を
   発足させました。1989年理工学部創立50周年式典で、先生は、次の半世紀への展望を
   熱く語られました。
    研究の話に戻ります。前述のように、先生のご専門は元来高分子ラテックスでした。しか
   し、50歳近くなって、突然光ファイバーの研究を開始されました。研究はまず、ガラス管の
   中で複数モノマーを共重合して半径方向に組成分布、従って屈折率分布、をもつポリマー
   ロッドを得る実験から始まりました。その後、得られたプラスチックロッドを輪切りすることに
   よって非球面レンズ、延伸することによって屈折率分布型光ファイバー(Graded-Index
   (GRIN) Plastic Optical Fiber (POF))を創る研究に広がりました。その過程で、現理工学部
   教授小池康博博士が研究に加わり、GRIN型POFの研究が加速しました。大塚先生と小池君の
   GRIN POFについての師弟競演は大変見ごたえがありました。大塚先生が仲人をされた
   小池君の結婚式の祝辞の中で、私は、三蔵法師と孫悟空をイメージしながら
   「おおやす(大塚保治先生)の掌の上で、こやす(小池康博君)が暴れまくって光機能
   高分子の新時代を拓こうとしている」と申し上げました。今、小池康博君の華麗な研究成
   果をみると、二人の『やす』に改めて拍手を送りたくなります。
    1990年代には、ファイバーへの熱意とお人柄を買われ繊維学会会長に迎えられ、繊維
   学会に新風を吹き込みました。大学や学会における業績により、先生は、2002年に勲三等
   旭日中綬章を受章されました。
    先生は引退されてからも"研究の虫"ぶりを如何なく発揮されました。その対象はラン。
   ただ単にランを栽培するだけにとどまりませんでした。ある日、ご自宅から大学に電話を
   頂きました。理科機器を扱っていた出入りの業者の連絡先を問い合わせるものでした。
   どうしてその業者さんに?という私の質問に「材料を揃えてランの栽培用に温室を作る」
   というご返事でした。その後、自作された温室で一層見事なランを咲かせました。さらに趣
   味が高じて関心は土にまで及びました。近所のコンビ二でペットボトルを譲り受けてグリセ
   リンの中に融解し、いくらか分解させながら微粒子化して、それをラン栽培用の土壌に混ぜ
   ました。これにより水分を適切に保てたとの事です。そのような工夫の成果である見事な
   ランの花を写真にとって絵はがきにして毎年季節の節目に送っていただきました。そんな
   絵葉書をいただくのが私どもの楽しみでした。今はもうその楽しみも叶わなくなりました。
    大塚先生は、研究者として、教育者として、組織のリーダーとして、また趣味人として、
   知情意をバランスよく備えた人でした。知情意を見事に備えられた先生の門下生で良かっ
   たと、心から思います。三百人近いOBOGは皆そうした思いでいることと思います。
   あらためて感謝申しあげ、ご冥福をお祈りいたします。


 (2006.10.12)
 「COE LCC アアーヘン工科大学訪問記

   21世紀COEプログラムは、2002年と2003年にそれぞれ5分野ずつスタートした。2002年組の
   COEは今年度で終結する。化学・材料科学分野で採択された慶應義塾大学院「機能創造ライ
   フコンジュゲートケミストリー」も最終年度を迎え、国際的拠点形成を達成できた証しを示すた
   め、成果を世界に発信する運びとなった。COEの推進メンバーとポスドク、およびRAが挙って
   海外で成果を発表する方針を固め、その場をアーヘン工大と決めた。そう決めたのは次の
   3つの理由による;
      1.ヨーロッパで屈指の工科大学である。
      2.アーヘン工大と慶應大の交流が本年で50周年を迎え、そのためのセレモニーが催
        される。
      3.アーヘン工大の化学科奥田教授は、これまで何度となく日独を結ぶ化学系のイベ
        ントにご尽力されている。
   COE推薦メンバーの山田教授とアーヘン工大の奥田教授、さらに両校の国際センターの綿
   密な立案・企画により、次のようなスケジュールが決まった。
       10月3日 出発
          4日 アーヘンキャンパスツアー
          5日 COE LCC KEIO-AACHENジョイントシンポジウム
           6日 Gruenenthal社 見学 アーヘン工大-慶應大交流50年記念式典出席
           7日 帰途
   参加者の数は無理のない範囲で多くという方針で、結局推進メンバー10名、RA19名となっ
   た。この訪問団の目的を「世界に向けての成果の発信」と書いた。しかし、さらに前向きな目
   的があることも付記したい。そのひとつは、RAの若き研究者たちに世界の研究機関を直接
   見聞させること、第3の目的は、アーヘン工大を慶應化学陣のヨーロッパにおけるパートナー
   とする布石を作ることである。

   3日に順調にアーヘン入りした一行は、4日小型バスでキャンパス内を移動しながら要所要
   所を見学しアーヘン工大の個性を記憶に刻み込んだ。5日がハイライトであった。9時からの
   シンポジウムはB. Rauhut学長による開会の辞に始まりCOE拠点リーダー川口によるCOE
   LCCの説明の後、14件の講演が続いた。14件のうち10件がCOE推進メンバーによるもので、
   それぞれがCOEでの成果を紹介した。研究の水準の高さを評価していただけたと思う。残
   りの4件はアーヘン工大側の講演であった。アーヘン工大化学科は、有機化学、無機化学、
   物理化学、工業化学・高分子化学の4研究所からなり、講演は各研究所の所長により行な
   われた。各研究所の構成とメンバーの専門分野の紹介、および自身の研究が述べられた。
   各研究所長の講演からアーヘン−慶應の化学分野の今後の連携の形が浮き彫りになった。
   会場は終始80名程度の聴講者で埋められていた。シンポジウムには、東大中村栄一教授が
   出席された。教授は本年フンボルト賞を受賞され訪独中であり、シンポジウムでは質疑応
   答を大いに盛り上げてくださった。口頭発表が16:50に終わった後、17:00から慶應のRAと
   アーヘンの学生によるポスター発表が行なわれた。ポスターはRAが19件、アーヘン側が
   24件で、相互の研究を理解し合い、かつ研究を深める討論をしあった。6日の午前中は製薬
   会社Gruenenthal社を訪問した。Gruenenthal社はペニシリンを世界に先駆けて製造した
   こと、サリドマイド禍をもたらしたということで著名な会社で、われわれは、その研究所内を
   歩き、ドイツ独自の研究所の内情を目の当たりにし、得がたい体験をできた。
   同日夕方は、アーヘン−慶應交流50周年記念式典にCOEの団体全員が参加させていただ
   いた。これも学生達に貴重な経験になったに違いない。

   COE−LCCの29名のアーヘンツアーは、COE−LCCの成果を世界に発信できたこと、RAを
   国際ステージに立たせ経験を深めさせたこと、アーヘン−慶應の化学分野の今後の研究
   連携への道を開いたことにおいて、実り多い事業であったと評価できる。関係者各位に深
   く感謝申し上げる。

 (月刊誌「化学」の『カガク者の本だな』に掲載)
 「カガク者の本だな」

  紹介する本
   『博士の愛した数式』小川洋子 新潮社
   『トンデモ科学の見破りかた』 ロバート・アーリック 草思社
   ある会合である出版社の女性社長と同席した折りに、理工系の研究者が書く科学の啓蒙書の
   良いところ・悪いところについて聞かせてもらった。サイエンスをツマにした小説にも話が及び、
   そのとき小川洋子の『博士の愛した数式』を紹介された。小説の中での数式の使われ方に興
   味を覚え、早速それを購入した。この小説は、後に「第1回本屋大賞」に選ばれたりしてベスト
   セラーになったものだが、そのときはまだ出版されたばかりで、大きな書店に慎ましやかに置
   かれていたにすぎなかった。私は芥川賞の作品はそこそこ目を通しているので、小川洋子の
   芥川賞受賞作『妊娠カレンダー』も読んでいた。周到なストーリーと文を書く凝り性の作家、
   という程度の印象であった。私にとって同著者2冊目のこの『博士の愛した数式』を私はうっ
   とりしながら読んだ。読者の知的好奇心を刺激しながら愛と哀しみを語り聞かせる小説であ
   る。
   ストーリーの中に、数、数式、数学の定理が、必要不可欠な形で、でしゃばることなく登場し、
   特に、「完全数」や「オイラーの式」が巧みに生かされていた。作者の凝り性ぶりが鮮やかに
   実を結んでいる。新潮社はこの本の帯に「せつなくて、知的な至高のラブ・ストーリー」と記
   しているが、本書をそれだけのフレーズで語られては物足りない。

   理工系の人間は、自身が「真理」という絶対的なよりどころを持っていると信じている。真理に
   照らし、冷静に客観的に生きている、という自負を持っている。したがって、「科学も一宗教」
   などといわれるといきり立つ。また、自分のよりどころに茶々を入れられると猛烈に反駁する。
   こんな前置きをしてから、『トンデモ科学の見破りかた』を紹介する。
   本書には、当たり前と考えられていることを否定する「論証らしきもの」9例が挙げられている。
   例えば、"エイズの原因がHIVというのは嘘""石油、石炭、天然ガスは生物起源ではない"な
   ど。それらの真贋を見破るテクニックが第1章に示されている。信じる物事への思い入れを和
   らげ、信じ込みをリセットすることが時には必要であり、本書は、そんなことを指向する読者
   に、格好の手引書になる。ただ、相当広範に科学的下地を持っていないと本書を真っ当に読
   みきることができないであろう。実は、私も半分程度読んだに過ぎない。

 (2003.5.12)
 「機能性高分子微粒子−機能のよりどころとその活用−

   高分子学会会誌「高分子」3月号の「高分子科学最近の進歩」に「機能性高分子微粒子−
   機能のよりどころとその活用−」という総説を載せました。書き足りない部分がありました
   ので、改訂版を作成しました。下記の機能性高分子微粒子をクリックするとご覧になれます。

  機能性高分子微粒子

 (2002.11.1)
21世紀COE 化学・材料科学分野「機能創造ライフコンジュゲートケミストリー」の立ち上げに寄せて

   「ライフコンジュゲートケミストリー?」とよく問われる。私たちは、ライフコンジュゲートケミストリ
   ーを日本語で「生活・生命織り込み化学」と謳うことにした。平易には、それを「命を保証し生活
   の質を高めることに貢献する化学」といってもよい。その成果が、機能を有する材料の提供と
   活用をもって評価されるとすれば、《機能創造がライフコンジュゲートケミストリーを育て、
   ライフコンジュゲートケミストリーが新しい機能材料の創生を促す》という循環を期待できる。
   こうして、学術の面では化学に新しい体系を作り出し、学内における知的社会基盤の中核を
   担い、国際的にはライフコンジュゲートケミストリーの最高拠点として世界をリードしようとの
   構想が生まれた。化学・材料系の新進気鋭の研究者を中心に5年かければそれができると読
   んで選考に応募した。そして先ごろゴーサインを受けた。高いハードルを設けすぎたかとの
   思いもあるが、大きな励みと受け止めて、拠点に向かう階段を上っていきたい。本件のために
   ご尽力・ご支援下さった方々に衷心よりお礼を申し上げる。

 (2001.7.20)
  スロバキア、アメリカで2つの会議に参加して

   スロバキアの首都ブラチスラバに Slovak Academy of Science (SAS,スロバキア科学院) が
   ある。SASにおいてスロバキアの高分子化学を引っ張ってきたバートン博士が今年で在職40
   年を迎えた。それを祝しSAS主催の国際シンポジウム「新しい高分子分散系に関する国際
   シンポジウム」が開かれた(委員長は、バートン博士の後継者にあたるカペック博士)。
   バートン博士はかつて私たちの研究室に3ヶ月共同研究者として滞在し、私たちとの共著論
   文もある。そんな誼で私もそのシンポジウムに招かれた。ブラチスラバは2度目であるが、
   今回も隣国オーストリアのウィーンでバートン先生にピックアップしていただいて車で国境を
   超えた。
   シンポジウムは、ブラチスラバから北東に100kmほど行ったスモレニースという小村にある古
   城で開かれた。その古城は、スロバキア政府がSASに譲り渡したもので、SAS関連の会議や
   集会に利用されている。外観は古いが内部は機能的に改装されていて好感のもてる施設で
   あった。シンポジウムへの参加者は60名であったが、バートン、カペック両博士が日本に多く
   の知人を持つことから、日本からの参加者が20%を占めていた。シンポジウムは4日間で新規
   の高分子微粒子分散系の合成、特性、機能について興味深い講演が続いた。私はリビング
   ラジカルグラフト重合によるヘア粒子の作製と性質について最近の成果を紹介した。シンポジ
   ウムの閉会式でカペック博士の挨拶が終わるころ、会場に、液体の入った試験管を並べた試
   験管立てが運び込まれ、参加者に試験管が配られた。中はアルコール分40%以上の地酒で、
   それで乾杯してシンポジウムが閉会した。
   私はそのあと、大西洋を越えてアメリカに渡った。ボストンに一泊し、そこからバスでニュー
   ハンプシャーにあるティルトンという小さな町に行った。ここで2年毎に「高分子コロイドに関
   するゴードン会議」が開かれてきて、私が参加するのももう4回目になる。会期は今年も7月
   第1週であった。今回私は少々重要な任務を帯びてこれに参加した。というのは、今年の高分
   子コロイドに関するゴードン会議(委員長はダウケミカルのD. I. リー博士)は8セッションと
   1ポスターセッションで構成されるものであったが、私は、8セッションのひとつ「高分子微粒子
   の生医学への応用」のセッションのまとめ役を仰せつかっていた。ゴードン会議は各講演に続
   くディスカッションにたっぷりの時間をとることを特徴とするものであり自分のセッションが盛
   り上がるかどうか気になっていたが、幸い、活発な質疑応答がとうとうと続き、まとめも無事
   にできほっとした。
   今回のゴードン会議には、私たちの研究室で学位をとった白谷俊史博士も出席した。また、
   会議の帰り、ボストンでは、留学中の、やはり川口研出身の若林良之博士とも会ってきた。
   これらを通して、人材のグローバル化を実感し、後進たちにも一層それを進めてほしいと思
   った。快適な海外での2週間(2001.6.23 ミ 7.8)のあと、帰国した私を迎えたのは、雨の少
   ない酷暑であった。

 (平成13年電気化学会会誌Electrochemistry1月号に掲載)
  分野を越えて

   田中豊一博士をご存じですか。37才で MIT の教授となりその後も卓越した業績をあげなが
  ら、2000年5月54才の若さで突然他界した物理学者です。
   田中博士は、研究の上で2つの山に挑みました。最初の山は高分子ゲルという山。曖昧模糊
  として科学の対象になりにくかった高分子ゲルに取り組み、ゲルの相転移の発見、ゲルの多状
  態の証明、ゲルのダイナミクスの解析などを通して、博士はこの山に不滅の足跡を印しまし
  た。田中博士が挑んだ第2の山は「生命の源 (Origin of life)」でした。1999年度特別招聘教授と
  して私どもの大学の教壇に立たれた田中博士はご自身の研究の進捗と並行させながら「Origin
   of Life」の講義を進められました。アミノ酸が機能物質“タンパク質”を作り上げるプロセスを
  物理で解き明かそうという破天荒の挑戦の中で「もうすぐ頂が見えそうです」と博士が口にした
  とき、神の意志が博士を召したといわれれば、無神論者の私でも何か畏れに似たものを感じま
  す。
   さて、田中博士の研究の経緯を述べてきましたが、本稿で主張したいことは、博士の研究の
  手法です。田中博士は練り上げた理論を目に見える形で実証することに意を注ぎました。ポリ
  アクリルアミド中にアクリル酸が組み込まれたゲルに生じる相転移を発見した博士は、博士の
  希望する特性を有するアクリルアミドとアクリル酸の共重合体ゲルを難なく調製してしまう化学
  者をすばらしいマジシャンと讃え、そうしたマジシャン達との共同研究を通して田中博士は「見
  せる物理」「見える物理」を展開してきました。田中博士の論文中に見られる「高邁な理論」と
  「明解な実験」の取り合わせは、田中物理の真髄です。第2の山の研究の中で「機能をもった
  タンパク質にはそれができあがる合理的な仕組みがある。簡単な実験でその原理をお見せし
  よう」と博士が私たちに示された論文 Reversible molecular adsorption based on multiple-point
  interaction by shrinkable gels (Oya, et al., Science 286 (1999) 1543) から、田中博士の研究
  手法を読みとることができます。理論と材料をひとつの舞台の上で競演させてその演出を楽し
  まれ、異分野を行き来しながら研究と自らを育まれた20世紀の偉人を思いながら世紀の境を
  越えるとき、「世紀を越えるついでに、分野の垣根も踏み越えてみましょう」と周囲に声をかけた
  くなります。他人の庭の石ころの中に自分にとっての宝石を見つけられるか否かは、好奇心と
  集中力と眼力、それにセンスと運まで絡んで決まる事かもしれませんが、とにかく踏み込んで
  みなければ始まりません。新しいことを始めるのには、今がちょうど良い時期だと思いません
  か。

 


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